気まぐれポンコツ、子連れで海外移住

わがまま気まぐれポンコツな私が海外移住するとは想像してなかった。それも子連れで…

川崎病のおはなし 05

入院中ずっと抱えていた問題で

娘の経過以外で言えば 夜泣き です。

 

1歳半だったのであってもまぁ普通かなとも思いますが、

普段よりも頻繁。

何より4人部屋なので気を使うのが一番しんどかった…

 

まだ向かいにベッドの5歳のお兄ちゃんやママさんは何度も

入院経験があるそうで、息子さんも本人がすごくしんどい病気ではないし

子連れ同士で小さい子供、しんどい、知らないところでのストレス

毎日痛い嫌な検査 と理解していてくださっていたのも大きいと思いますが

 

「そんな夜泣きしてますか? あんまり聞こえないですよ〜」と

言ってはくださりましたが、毎回入院時に川崎病の子と会うそうで

川崎病の子は夜泣きをよくしているイメージ だそうです。

何か影響はあるのかなやはり…

 

ただ問題は、小児科病棟と言ってもそこは確か小学生までいたので

高学年の男の子が二人同じ部屋だった後半は…

 

二人とも消灯時間無視して親御さんとテレビ見たりゲームしたり

していて夜中に寝るわりに

娘がぐずりだすと うるさいと言われたり

翌朝看護師さんに「赤ちゃん泣いてうるさくて寝れなかった」

と言っていたので 娘が少しでも声をあげると飛び起きてあやしていましたが

抱っこして立っていないとダメだったりで

 

前半より後半の夜泣きの方が私の体力とストレスはきつかったです。

娘の方がたくさんストレス抱えてのことだろうし、止められないんだから

しょうがないじゃない!とイライラしたり、

頭では入院してるくらいなんだから彼らだってしんどかったり

ストレスあるよねと理解していても 夜が怖くて怖くて…

 

 

最後の2日は検査したりする部屋を貸してくれたので私は座って寝ることに

なりますが泣き声で気を使うことは減りました。

 

入院で基本的には私が泊まっていて、母が仕事終わりに来てくれて

交代で帰ってご飯食べてお風呂に入って病院に戻るという生活ですが

何度か泊まりも代わってくれました。

 

この入院生活、周りの人のサポートなしでは本当にいられなかったと思います。

感謝しかありません。

 

退院後は1週間は自宅で様子をみ、診察に行って

3ヶ月後に心臓エコー

さらに3ヶ月後

その後は半年後、その後一年づつ5年経過をみていくそうです。

心電図と心臓エコーの検査をします。

 

退院してから2回目の心臓エコーの時、

初めて眠らずに検査しました。2歳になっていました。

心電図はおもちゃなどに気を取られているうちに

 

心臓エコーは暗いしジェル塗って触られるから怖がるかな

「ダメそうだったらその時寝てもらいましょうか」との

ことでしたが、部屋に備え付けのDVDで気をそらしているとちゃんと

寝てじっとしていてあっという間に終わり、「娘ちゃん べちゃべちゃー」

って言ってました。

 

付き添ってくれた母もびっくり

本当に成長を感じました。

 

まだ1年に1回は検査にいくのですが幸いにも何も

合併症、後遺症がないのですっかり元どおり…

あの入院生活が本当に?と思うこともあるほど元気です。

 

ただ発熱をするたびにまだドキっとしてしまいますが…

それでも38度あっても元気にやんちゃ、悪さしている娘を見て

「あんなぐったりなるよりマシだ。これはきっとすぐ治る」と思います。

 

本当、元気が一番。

悪さもいやいやも腹がたつけど

笑顔が見られなくなることを思えば我慢できるものです。

 

 

川崎病のおはなし 04

川崎病と分かり、それでも

 

何それ?

治るの?

後遺症は?

この子の今後の人生はどうなるの?

元気になる?

家に帰る日は来るの?

何日笑顔を見てないんだろう

寝てるか泣いているか

熱があっても暴れまわっていた時に「少しは病人らしくなればいいのに」

なんて思っていた自分を恨みました。

 

当時1歳半程 まだまだ小さな身体でしんどそうにぐったりして

点滴に繋がれている姿は悲しくて可哀想でなりませんでした。

 

 

そんな時、近所の児童館でお友達になったママ友が心配して来てくれました。

入院となった時に2、3日と空けず会っていたので一応

「入院することになったのでしばらく遊べなくなっちゃった

また元気になったら遊んでね」とは連絡していました。

 

最初に病室に来てくれて、まだ娘は寝てるだけの時だったのですぐ廊下で話そうと

病室を出てその時にわかっていることを説明して…

 

急に 何かが切れてしまって泣きました。

「我が子のように可愛い娘ちゃんだもの」とお友達も泣いてくれていました。

 

 

もちろん小児科病棟なので子供は入れないのでパパさんや家族にわざわざ預けて

会いに来てくれたんです。

冬だったので娘は感染病ではないけど、大きい病院だし何か風邪とかうつってもだめ

だから気持ちだけで嬉しいよと伝えましたが

その後も何度か来てくれて その時にすごく助かる差し入れをしてくれました。

たまたま近所で通っていたところで仲良くなったお友達だけど

なんていい友人に恵まれたんだと…

 

ママ友って枠を超えた友人が出来たと思いました。

移住によって離れてしまったのがすごく寂しいです。

 

 

結果、一度少し熱のぶり返しがあったので、汗が冷えたのかなとも思いましたが

念のため とグロブリン投与2回目がありそのまま発熱なく、

色々な数値も下がって来て ご飯も食べられるようになって来たので

合計2週間と少しほどの入院でした。

振り返ると2週間かぁと思いますが、あの頃は3ヶ月にも半年にも感じるほど

ながかったのです。

 

薬を飲ませるのに無理に起こして見たことないレベルで泣き叫んでいた娘が

自分で点滴してない方の手でバナナを持って食べた時は感激でした。

 

病院で借りたDVDプレイヤーでワンワンを見て笑い、私が大好きな

三日月お目目が久しぶりに見られた時はこの上なく愛おしくて安心して

一息つけたような気がしました。

 

 

でもずっと問題は退院まで続いていました。

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Black Fridayでの戦利品

いつからだろう? 日本でも

ブラックフライデー」と銘打ってセールしたりするのを

見るようになったのは…

 

とはいえ私は今日本には居ないんだけど、元はアメリカからきたものらしい くらいしか知識がないままとりあえずセール!

クリスマスまでに来るセール!

 

とだけ知ってこの時期を待っていました。

 

狙うは掃除機! なんならダイソンLG

 

今は子供が出来る前から住んでいたシェアハウスに住んでいるのですが、そこにある掃除機が見たことないレベルに重いんです…

本体も大きいし重い上に部屋がすごい広いからそれを延長コード繋げて引きずり回さないといけない…

 

のは無理!ということで掃除機をかけるのは夫の仕事でした。

 

でも、2歳児ともなれば汚す汚す!

食べ物溢れる

どっかからなんかちぎって持ってくる

なんなら砂、小石ついた足、服で走り回る

くらいの事をやってくれるのでもっと気軽に掃除したかった。

いや やらないでキレイならやりたくないけど

 

それで実家にもあったダイソンのコードレスは便利だしと思って一度JB Hi-Fi HOME に見に行ったらば、すごい丁寧に相談にのってくれてダイソンv8かLGのなんとか狙いに。

時期的に「クリスマスセールで安くなる?」

と聞くと「なるよ!に日にちや値段は直前に知らされるから今は分からないけど」

と言われたのでクリスマスセール待つつもりだったけど、今回のブラックフライデーで広告で$100引き v7なら$250くらい引かれてたかな?

にとびついたー

 

 

車を走らせ金曜朝から行きましたとも。

もうね、掃除機コーナーいかずとも、手前のゲームあたりからアピールされていた

 

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一応v7との違い聞いたけど忘れちゃった…とにかくまあbetter oneがいいよねって事で。

 

LGは内部構造よく似た パクリ?と思っちゃう感じだけど、ダイソンの引っ掛かる点、収納カチっとするのをつけたければ壁に穴を開けなきゃいけないってところをスタンドにしてくれて解消、さらに値段によるけどエクストラのバッテリーもついてたり。

デザインも悪くなかったから吸引力の差はどこまでかわからないけど、同じ値段ならLGもいいなあって思っていたんですが、こちらは$20くらいしか下がってなかった…

 

 

なのでダイソンv8をゲット!

Apple Payでピコンしていそいそとお持ち帰り… なんだか新しいおもちゃを買ったようなウキウキ具合でしたとも

 

まあまあデカイのを脇に抱えながら

DVDコーナーで「ジョージはぁ?」とおサルのジョージを買おうとする2歳児モンキーガールを誘導するのは簡単ではなかったけど…

 

 

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たらーん

 

なんかいっぱい入ってる

 

なぜか実家のv6にはアタッチメントがなかった

(無くしたの?ママン)

から、ハンディ使いしたりミニで車のシートや布団、ソファまでするのがちょっと憧れでした。

 

でも「20%チャージしてるけど最初使う前にフルにチャージしてな」

って書いてあってかなりお預けくらった感

 

まあ娘とお昼寝してる間に完了

 

家の中はほとんど絨毯がひかれてるのでカーペット用のをつけて初お掃除!

 

 

v6と比べては軽い!スイッチも含めて。

母お気に入りのトルネオに比べたら重いけどさ

何よりコードレスだから!

 

使用感は音や勢いなど、すっごい吸ってるー!

という感じではなかったけど、すぐにあのCMのような… 砂?

と思ったあれは埃…

普通の掃除機では取れないのが取れるんですって言ってる意味がわかったくらい感動して、掃除しまくり!

 

 

次の日夫も使ってみて「何これ!すごい!」

てソファとか掃除しまくり

 

v6ではそんなに感じなかったなあ…もちろんよく取れてたけど、実家は埃より犬の毛が目立っていたし…

 

 

セールとはいえ安くない買い物だったけど、掃除の取れる具合もさることながら、掃除したくなるという点でこれは買ってよかったねと夫婦で大満足なお買い物でした!

 

 

いやードルチェグストスマートテレビも欲しかったんだけどなあ…

クリスマスセールでまた考えよー

 

ちなみにダイソン、クリスマスセールでさらに下がるのか聞いてみたら「それはない!セールしても同じ値段までよ」

てことでした。

 

さて 明日は車の中を掃除するぞ

川崎病のおはなし 03

間が空きましたが 川崎病のお話の続きを…

幸か不幸か、だんだんと忘れてきているので早く書き留めなくては。

 

川崎病ですね」

と言われた時、私はその病気を知りませんでした。

あとで育児本を見直してみると載っている本もありましたが。。

 

主に乳幼児がかかる全身の血管炎症候群のこと。主として中型の血管が全身で炎症を起こすことで、発熱、発疹、冠動脈病変など様々な症状を惹き起こす。

wikipedia参照(様々な医学サイトにも同様の記載)

 

「全身の血管が炎症を起こしています」と言われた記憶しか…

判断は何日も続く高熱と、徐々に出揃ってくる症状だそうです。

 

  • 5日以上続く高熱
  • 白目の充血
  • 全身または一部に現れる湿疹
  • 手足が赤く腫れる
  • 唇や舌が赤くなる
  • 首のリンパが腫れる

などの症状から判断するそうですが、診断された時点で娘は

熱、充血、唇が赤いというかすごい乾燥でガサガサくらいで

湿疹などはありませんでした。

リンパは少し腫れていると言われたがあまり分からず…

 

「とにかくすぐ治療を開始したいのだけど、免疫グロブリン製剤

をいう薬の投与でこれは血液製剤ですので、注意事項など目を通してサインを

お願いします」

との事でした。

 

なんだか分からず目を通すと血液製剤のリスクについて(ほぼないけど)など…

 

でもそれしか方法はないんでしょ?

そうじゃないと娘は治らない…

すぐにサインして治療を開始してもらいました。

 

薬を点滴に流して行くので量調整の機械の設置、そして心電図をとる時と同じく

胸にもペタッと線を繋がれました。

可愛いクマさんのイラストの入院着からたくさん線が繋がっているのが

可哀想で心配で怖くてドキドキ…

 

お薬は終わるまで連続で入れて行くので夜中など途中で看護師さんが交換に来られていました。

ここから2、3日はしんどいながらも体の中で戦ってるのか、夜泣きはマシでした。

 

入院初日から何度かあった大事な検査があります。

心臓エコーと血液検査

心エコーは、川崎病にかかると様々な合併症の可能性があるそうですが

一番怖いのが動脈瘤 心筋梗塞に繋がります。

 

 

結果として娘は一度も何も合併症が発見される事なく終わりました。

でも心エコーは毎回本当に緊張と不安でたまりませんでした。

祈るように側で見ていたのを覚えています。

 

じっとしているのが難しい小さい子なので眠らせてからやります。

飲み薬か、それでも聞かなければ浣腸

 

寝たら移動ベッドに移してナースコール。

エコーをする部屋まで移動です。何度か小児科外来まで心臓専門医さんが

来ている時に検査を受けに行きました。

その際は大きな病院内をガラガラとベッドを押して看護師さんと移動しました。

 

 

血液検査に関しては病気に関する数値の確認などですがもちろん状態もわかるので

一度結構神妙な雰囲気で「ポカリなどを無理めにでも飲ませてください」

と言われた日がありました。

何が足りなかったんだっけな… ナトリウム?

忘れてしまった。

 

高熱はグロブリン投与をはじめて割とすぐに下がって来ました

一度は。

でもなかなか食事、水分を取らない日が続きました。

ポカリを飲ませないとやばそうなのに…

というところでとても安心する人たちが来てくれました。

 

 

熱は

海外移住しました ということで少し振り返り…

 

突然ですが、娘の観察日記のようにしようと思っていたこの場所

 

少し変更で海外生活や子育て、のちのバイリンガル育児のことも

記していきたいと思います。

 

 

というのも我がファミリー、南国に移住致しました!

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「これからは好きなタイミングでは会えなくなるし…」と

高校時代からの友人と昔からの恒例”裸の付き合い”

銭湯に行った時に

 

「まさかモモが海外で暮らして行くとは高校生時代想像もしてなかったよね!」

 

うん、私も༼ԾɷԾ༽

 

ふと海外に憧れはあったんです

 

留学したい!!

 

は中学生から言っていた気がする…

ですが、習い事関係の研修や海外旅行には行かせて貰えても

留学は母が反対でした。

 

逆に海外旅行は「人生の経験や勉強にはできる限りはお金を出す」という家族の考えがあったようで、ヨーロッパを三度まわったり

アメリカ横断したり…ととてもいい経験をさせてもらったので、海外に住んでみたい

思いは募るばかりでした。

 

それでも大学進学の際、外大か芸大かという選択肢があった私は周りからの

 

「英語はどこでも出来るよ でも芸術の道は専門的に学んだ方がいいんじゃないか

せっかく賞も受賞して可能性もあるんだし」

 

との意見に頷き、芸大と専門学校に進みやりたいことを見つけ、

それを仕事にしました。

華やかに見える世界ですが狭き門だったものの、日頃の課題外の活動などが

認められ先生の推薦もつき 思い通りの就職が出来ました!

 

作品が世にでる、誇らしい仕事。

夢だった世界

 

たくさんの事があり楽しくもありましたが過酷な労働環境で体を二度崩しました。

3日徹夜や3ヶ月休日無しなどで心身壊れ、心療内科にかかったことも…

一度会社を変えましたがプロジェクトとSVが同じような雰囲気で同じ目に。

 

「これ、ずっと続けて行くのかなあ…」とギリギリ間に合った終電で考えたことも。

 

ですが二社目で運命の出会いはありました。

もともとそこは海外プロジェクトも多く扱っていて、海外からのスタッフも多く在籍しており、そこで友人も出来ました。

インド人、イギリス人、タイ人、オーストラリア育ちのハーフ、オランダ人 など

 

 

海外に興味があったので英語を使う意欲はあったので出来ないながらも使い、

そこで「英語話せると全然違う場所で育った人たちと話せるってなんて楽しいんだ!」

と思い、ふと

 

「いいなあ〜 私も海外行きたいな」と呟いたんです。

同じ仕事の業界でも日本は特に環境がキツく彼らが経験した別の国での環境なども

魅力的に感じた為、その時の私は日本を出たくなっていたんです。

 

すると彼らは

 

「WHY NOT??」

「行けばいいじゃん?」

 

キョトンとした顔で…

なんだか国を跨いでる人たちはなんというかボーダーを感じないなあ…

海外に行くことを決めた後の周りのほとんどの反応もそうでしたが、

最初に考えるのは

 

せっかくついた夢だった仕事やめていいのか?

学生じゃないんだよ もう20も半ば

将来の結婚は?(恋人がいました)

 

一番まず聞かれるのは

何しに行くの?

 

まあ全てを振り切って、仕事をやめて実家に戻って貯金しワーホリで旅立ったわけですが…

 

それでも、その出発の空港では今のこの状況

降り立ったこの土地で結婚、出産経て暮らして行くとは想像もしていませんでしたが…

 

もちろん2年後くらいに日本に帰ると思っていました。