気まぐれポンコツ、子連れで海外移住

わがまま気まぐれポンコツな私が海外移住するとは想像してなかった。それも子連れで…

川崎病のおはなし 04

川崎病と分かり、それでも

 

何それ?

治るの?

後遺症は?

この子の今後の人生はどうなるの?

元気になる?

家に帰る日は来るの?

何日笑顔を見てないんだろう

寝てるか泣いているか

熱があっても暴れまわっていた時に「少しは病人らしくなればいいのに」

なんて思っていた自分を恨みました。

 

当時1歳半程 まだまだ小さな身体でしんどそうにぐったりして

点滴に繋がれている姿は悲しくて可哀想でなりませんでした。

 

 

そんな時、近所の児童館でお友達になったママ友が心配して来てくれました。

入院となった時に2、3日と空けず会っていたので一応

「入院することになったのでしばらく遊べなくなっちゃった

また元気になったら遊んでね」とは連絡していました。

 

最初に病室に来てくれて、まだ娘は寝てるだけの時だったのですぐ廊下で話そうと

病室を出てその時にわかっていることを説明して…

 

急に 何かが切れてしまって泣きました。

「我が子のように可愛い娘ちゃんだもの」とお友達も泣いてくれていました。

 

 

もちろん小児科病棟なので子供は入れないのでパパさんや家族にわざわざ預けて

会いに来てくれたんです。

冬だったので娘は感染病ではないけど、大きい病院だし何か風邪とかうつってもだめ

だから気持ちだけで嬉しいよと伝えましたが

その後も何度か来てくれて その時にすごく助かる差し入れをしてくれました。

たまたま近所で通っていたところで仲良くなったお友達だけど

なんていい友人に恵まれたんだと…

 

ママ友って枠を超えた友人が出来たと思いました。

移住によって離れてしまったのがすごく寂しいです。

 

 

結果、一度少し熱のぶり返しがあったので、汗が冷えたのかなとも思いましたが

念のため とグロブリン投与2回目がありそのまま発熱なく、

色々な数値も下がって来て ご飯も食べられるようになって来たので

合計2週間と少しほどの入院でした。

振り返ると2週間かぁと思いますが、あの頃は3ヶ月にも半年にも感じるほど

ながかったのです。

 

薬を飲ませるのに無理に起こして見たことないレベルで泣き叫んでいた娘が

自分で点滴してない方の手でバナナを持って食べた時は感激でした。

 

病院で借りたDVDプレイヤーでワンワンを見て笑い、私が大好きな

三日月お目目が久しぶりに見られた時はこの上なく愛おしくて安心して

一息つけたような気がしました。

 

 

でもずっと問題は退院まで続いていました。

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